思考の多動を車の運転でたとえてみた

アイディアが溢れて止まらなくなる、思考の高速回転で目が回りそうになる。

これを思考の多動と言うらしくて、この表現に出会ったのがきっかけで「自分はADHDなのでは」と疑うようになったくらい当たり前の感覚として生きてきました。

ちょっと待ってちょっと待って、書き留めないと瞬速で忘れる!!!
忘れたくない〜!と思ってる時には次のことを考えていて……という感じ。
ADHDの人なら共感してもらえる気がする。

この感覚に共感してくれる人は、この特性をどう捉えているんだろう?
気が散るから嫌だと思っているのかな。
私の場合、それ自体は割と楽しいと感じるタイプです。

本記事ではそんな思考の多動との付き合い方について書いています。
とはいえ具体的な策や体験談はないです、思いついたの昨夜だし。

思考の多動って車の運転と似てるよなという話から、今後付き合い方を模索する上での方針みたいなものが言語化できたんで、それを書き留めるという趣旨になっています。

思考の多動と子育て、相性悪い説

アイディアはぼんぼこ浮かぶし衝動性もあるから行動力がある。

しらお

良く言うとね

おかげでやりたいことは常時たくさんあって楽しいんですが、子育てしていると、この感覚はまぁまぁ厄介です。

心も体もノリノリ無双状態に入っても保育園のお迎え時間は決まっているから強制終了。
そこからは寝かしつけ終わりまで子供のお世話やら対応やら。
子育て専業の方なんかは、朝から晩までコントロールできているようでできていないスケジュールの中で子供に柔軟な対応することを余儀なくされる……。

私は衝動性が強いので、この切り替えが困難でかなり苦しみました。

しらお

衝動性が強くなくても世の保護者は大体感じたことあるタイプの困難だと思う

ここで正直に白状すると、夫や子供の存在が疎ましいと感じること、ありました。
「この人たちがいなければ思う存分やりたいことできるのにな……」って思うこと、ありました!!!!!

でもそれってなんか違うなーという違和感もあって、もちろん口には出さなかったし肯定する気もなく、私はクズだという結論で思考停止させていましたよ。

※パートナーシップについてはまた追い追い……w

子どもと過ごす時間を楽しめなくなるのは本末転倒

「この人たちと生活を共にしていなければ、思う存分やりたいことできるのにな……」って思うこと自体はまぁ、悪いことじゃないでしょって今なら思う。

人それぞれ価値観やポリシーは違うし、ライフステージによって優先することに違いがあるのは自然なことだから。
たとえ子育てしているとしても個人としてやりたいことがあって没頭したくなるのは悪ではないはず。

という前置きはさておき。

そうはいっても私の場合、特に今は「子供との時間」を優先したいんだとやっと言語化できました。

現在2歳10ヶ月の娘。
おむつもまだ外れていないし、着替えも一人じゃできないからお世話が必要。
仲良しの子はまだいなくて一人遊びが苦手。
そしてとにかく!親と遊びたがる。

「ごっこ遊びつらい、一人でやりたいことやってくれ……」と思う反面、こんなに親を求めてくれる時期なんてあっという間に過ぎ去るんだろなってわかる。

たくさん思い浮かぶやりたいことの目的は大体

大切なひと・こと・ものを 大切にする時間

温かい “つながり” の中で 安心している自分

この二つを手を替え品を替え得ようとしたがっている、自分の場合。

大切な子供との時間を大切にせずやりたいことをするのは本末転倒、要改善!というロジックです。
そこから「自身の特性とうまいこと付き合いながら子供との時間を大切にするにはどうしたらいい?」と考えるに至ったわけです。

車の運転で例えてみる

自分の特性、今回でいうと「思考の多動」を車で例えます。(?!)

思考の多動=スピード
その場の状況=道、とする。

そう考えると自分は、道と道が切り替わる時に踏むペダルの加減が苦手なのかなと。

  1. 高速道路
  2. 一般道
  3. 狭い道

おおまかに道を3種類にわけるとこんな感じ?
それぞれの法定速度って大体決まっています。

私はアクセル(加速させるペダル)を踏む加減が極端なんだと思う。
道路でいうと高速道路を好むタイプ。
グッと踏み込んでハイスピードで進むことに躊躇がないというか得意。
次から次へとマイペースにどんどん思考が巡っていく感覚。

一般道は思考でいうと常識や一般論に沿ってものを考えている感じ。
横には歩行者や自転車も通っているし、車間を意識したり赤信号なら止まるべきでみんなに開かれた道。

狭い道では徐行が基本。
体感的には子育てしているときの思考がこの狭い道で、子供の言動行動に合わせることに頭働かせている感じ、なんとなく常に足をブレーキペダルにかけている感覚。

色々な道がある中で、どの道でも法定速度守って安全に楽しく運転できればそれがベストだよなって思います。

具体策は模索中、とりえずの方針

道と道が切り替わる時に踏むペダルの加減が苦手と自覚したところで、じゃあどうすれば上手くなれるのかということになりますが、具体策についてはまだ模索している段階。

だってこのことに気付いて言語化できたの、昨日の夜だもん。
なんとなく思い浮かんでいるキーワードはペース配分切り替え時の調整で、そこらへんをこれから試行錯誤して行こうと思う。

とりあえず今は方針だけ書き留めておきます。

なめらかに走れるよう一日をデザインする

なんかちょっとかっこいいw
思考フル回転の高速道路モードから、保育園お迎えの時間までに狭い道モードへ入っておく。
そのために何時間前から一般道に出ておいて……といった一日の展開をなめらかに描くことを意識してスケジュール立てたらいいのではと。

夜にはしっかり家の駐車場に戻ってエンジン切る。(寝落ち)
朝になったらちゃんと出発できる。(お布団から出る)

ガス欠寸前まで突っ走ってエネルギー切れてガソリンスタンドが見当たらないから押して歩く。みたいなダイナミックな生き方、今のライフステージではできないんだよなw

加速車線(勢いに乗るまで)と減速車線(勢いを落とす)を意識的に設ける

とくに勢いを落とすためのトリガー作りが急務。
そのトリガーとなる強制的な「何か」と、ちょうどいい「タイミング」を見つける。

保育園お迎えのドアを開ける直前になってアクセル緩めても遅いんだ。
ドアを開ける時には、十分に速度落とした状態になっていないと。

そうでないと子供との時間を大切にできない、後悔する。

たまには時間や目的すらも忘れ、思う存分!高速道路走る時間を設ける

「趣味はドライブ」という人がいるように、スピードを上げて走ること自体を目的として楽しむことが、自分には定期的に必要だなぁと。

スピードを上げて走るとは、すなわち思考を高速回転させることなんだけれど。
どんなことで思考を高速回転させたいかというと、

・ブログ書く(言語化と共有)
・最近のモヤモヤやタスクを整理
・デザインのアウトプット
・公私ともにたくさんある夢の実現

こんな感じ。

要は子供の生活リズムやらなんやらを考えなくていい日が必要ってことw
心ゆくまでやりきったー!と思えるくらい、やりたいことに没頭できる時間は必要不可欠ですよ。

まだまだやれる!ぶっ通しでやりたい!を他者都合で中断して切り替えを強いられる日が続くと不完全燃焼感が蓄積するのは必然で、それはとても危険なこと。
そのフラストレーション、いつ何がきっかけで大爆発を起こすかわかりませんぞ!

わかりづらくてごめん

終始車にたとえているので、運転免許を持っていない人には意味がわかりづらかったかも。
持っている人にもわかりづらかったかも。

要するに、思考の多動を受け入れて、状況に合わせてうまく付き合う方向で試行錯誤しようぜってことなのでした。

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