今年の母の日は、実母にダイソンの掃除機をプレゼントしました。
「いつも欲しいなぁと思ってる物プレゼントしてくれて…優しい娘に感謝だよ」
って書いてあって、
「そうそう、欲しいって前から言ってたもんねー」
と思いました。
個人的にはマキタのコードレスクリーナーを使っています。
軽いしダイソンに比べたら安価だし、見た目が静かだし(笑)
気に入っているのです。
もし私が、自分があげたいものをあげる人だったら
「ママ、ダイソン(=掃除機)ほしいって言ってたからこれあげる!」
って脳内変換してマキタ贈っていたかもしれないなぁなんて想像しました。
※「お母さん」に呼び方を変えるタイミングを失い、未だに母親を「ママ」と呼んでいる30女です
母は自分があげたいものをあげる人。
安ければオッケーの質より量タイプです。
永く使えてお手入れしたくなる上質なものが好きな私は、昔から母の価値観が嫌いで反発していました。
けれどまぁ最近では
「それが母である、
それ以下でもそれ以上でもない。」
という認識。
そんなわけで実家に帰れば「◎個で何割引だったのよ!」なんて安く買えた自慢をしながら好きだと言ったこともないキャラクターモノの雑貨を渡してくる母。
「要らない」と言って断ったり、「おぉ、ありがと」と受け取ってみたりする私。
「これ、私のこと想像して買ってないでしょ?」
なんて思うけれど、これは「人にものを贈るということ」の捉え方が自分と母で違うだけのことなんだろうなーとしか思っていません。
そんな母のような人が友人にもいます。
子供が生まれて半年くらい経った頃、その子から唐突にドラえもんの箸置きをもらいました。
過去一度もドラえもんが好きだと言ったことはないし
箸置きを置く文化も我が家にはないのに……!
理由を聞いたら
「お店で見かけて欲しくなって、でも自分じゃ使わないから、しらおなら使ってくれそうだと思ったから買った」
ってなんなんだその理由!?!?
ひたすらカルチャーショック。
その当時は
「自分勝手極まりねーな」
「いや、0歳児いる家に箸置き贈る?!誤飲のリスク!」
と内心憤慨しましたが、今振り返るとそれもまた彼女らしさなんです。
ってかその子には子供がいないので誤飲がどうとか想像及ばなくても無理はない。
自分が知っていることは相手も知っているという思い上がり、傲慢ですねハイ。
母も友人も、誕生日とか関係なく「贈りたい時に贈る」というスタイルが共通していると気づいた最近。
記念日やお祝いに「贈らねば」「お返しせねば」という発想から贈り物を探す私よりはるかに自由で素直なんだと羨ましくなったりします。
とはいえ私は正直好みではないものを貰った帰り道のあの「さて、どうしよ……」というモヤッとした気持ちを相手にさせたくないし、思われたくもないです。
だから今後も
相手の好みを熟知して、
欲しいと言ったものはすかさずメモし、
然るべきタイミングで贈る。
このスタイルでいきます。
いや、そう思っているのは自分だけで本当は私も自分本位な選び方してるのかも。
こういうエピソードを「正しい・間違っている」かどうかでジャッジしようとするとまぁまぁしんどいですが、違いはただの違いとして面白がれれば楽しいだけです。
自分の価値観だけが全てじゃないって、ある意味救いですよねー。