偽善でもいいじゃない!認定NPO法人カタリバに毎月寄付をはじめた理由

どうも、しらおです。
2020年4月から認定NPO法人カタリバさんに毎月1000円の寄付をはじめました。
今年やりたいことリストの一つが叶って嬉しい!

本記事では、しらおが寄付をはじめた理由についてまとめています。
結論という結論はないのですが、しいていえば

あの時の私を救うために今できることをしたくなった

というのが主な理由です。

寄付って、お金持ちが余ったお金をそうでない人々に恵んでやったるわ〜みたいなイメージある人、多いんじゃないかと思います。

かくいう私もそうでした。
他人様に使う余裕があるなら家族とか友人に使ったほうがいいよねって。
(もし寄付したとしても、匿名でこっそりするのが美徳っぽい感じありますよね。)

そんな風潮のせいか実際だれもやっていないのかは分かりませんが、しらおの身近で寄付の話って聞いたことがありません。
気軽にそんな話ができてもいいじゃない?というかしよう!と思い、あえてブログで公言してみます。

NPO法人カタリバってどんな団体?

NPOカタリバは、どんな環境に生まれ育っても未来をつくりだす力を育める社会を目指し、
すべての10代が意欲と創造性を手にできる未来を実現しようと活動しています。
NPOカタリバの理念 より引用

まずはじめに、今回寄付する先に選んだカタリバさんのこと。
10代の学習や不登校への支援、未来を創造する意欲を育む活動をされているNPO団体です。

公式サイトに1ページでわかるカタリバ というページがあるので、ご興味を持たれた方はチェックしてみてください。

毎月寄付をはじめた理由

高校時代の登校拒否という経験

そもそも自分は寄付という行為がしたかったわけではなく、今、不登校で苦しんでいる10代の子たちの支援をしたいと考えていました。

というのも自分が高校一年生の時に登校拒否になり、結果8ヶ月で退学したというめちゃくちゃしんどい過去があるからです。

そこから必死でバイトして再入学の費用30万円を貯めました。
そして翌年違う高校へ一年遅れで入学、なんとか卒業したというオチがあります。

親は学校へ行けなくなった私を腫れ物に触るかのように扱っていました。
中学時代の友人は新しい高校でフツーに友達を作って楽しそう。
最寄のバスは1時間に1本、電車までは自転車で片道50分のど田舎に住んでいた16歳の私。

家にも学校にも友人との間にも居場所がなく、自分の部屋に閉じこもった日々はとにかく地獄でした。

そんな当時の救いはインターネット。
16歳だった2006年はSNSが普及していなかったので、教えて!gooやyahoo!知恵袋に自分の状況とこれからどうしたらいいのか投稿していました。匿名の学生掲示板で同じような状況の人を探したり。

そこで交流した、名前も知らない誰かの励ましやアドバイスがあって今の自分がいます。

今でも当時のことを思い出して泣きたくなります。
そして、今あの時の私のような思いをしている子がいるのではと想像するんです。
絶対つらい。

不登校で苦しんでいる子たちを支援したいという思いはありながら、子育てに奮闘する日々。具体的に何をしたらいいのかも正直わからない。

そんなある日、TwitterでNPOカタリバさんの活動を知りました。
今のところ小額にはなってしまうけれど寄付させてほしいって思いました。

応援にお金を回したい

私はお金を社会を巡る血液だと考えています。
むやみに貯めこんで停滞させるのではなく、積極的に回したいという価値観です。

そして、どうせ回すなら応援したい相手に。
賛同したい活動が末永く続きますようにという願いを込めたいです。

仏教の「托鉢」という考え方に惹かれて

托鉢って言葉、知っていますか?
修行僧が街を歩き、お布施したい一般人が現れたときに、ただそれを受け取るという修行だそうです。

参考 托鉢(たくはつ)大本山永平寺別院 長谷寺

修行僧にとっては
・受け取れる金銭の多い少ないにとらわれず
・人に見られる恥ずかしさを超えて
・絡んでくる人へのあらゆる感情をも超えて
ただひたすらに歩くところに修行の意義があるんだそう。

そしてこの修行の興味深いところは、お布施をする一般人のためでもあるというところ。

貧しい人は、自分が貧しいので、与える側になる機会を得られずにいる。
与える側になれないと思っているから苦しく、いつまでも貧しさから抜け出せない。
自分に余裕があったらできるのに。という発想を壊して貧しさから救うために托鉢がある。

ザックリ書くとそんな趣旨らしいのです。

しらおは無宗教ですが、この托鉢という修行の考え方が好きです。
まぁ今回は寄付なので托鉢とは異なりますが、近い感覚でお金を差し出します。

与えるから与えられる。
うーん、深い。

偽善と思われてもいいさ

支援される側の立場になって想像してみた

家にも学校にも居場所がなかったあの頃、もしカタリバという団体の存在があったなら、間違いなく参加してただろうなぁと思います。

そして、そこに毎月寄付が集まっていると知ったら。
私は「偽善」がどうのこうの気にしないはずなんですよね。

集まったお金にどんな背景があったとしても、1000円は1000円。
偽善だなんだと批判する人の0円より具体的な助けになるのは前者です。

カッコイイ大人でありたい

「あぁ、どんな理由であれ誰かが私を支えてくれる団体にお金を入れてくれてるのか。」「私も大人になったらそういうことできる人になりたいな。」

そんな風に若い子たちが見たことも会ったこともない大人からの応援を感じられる世界って、私は好きですね。

別に身近にいる人だけが世界の全てじゃないから!
狭い世界で絶望して未来を描くことをやめないでねって強く思います。

そしてそれは思うだけじゃ伝わらない。
だから少額(と思う人がいても)偽善(と思う人がいても)いいじゃん!
具体的な行動で伝えよう!という思考回路です。

自分が力になりたいものにお金を差し出すことの何が悪いんじゃ!!!という思いとともに、今月も1000円が引き落とされるのでした。

しらお

非常に忘れっぽいという特性をカバーした毎月引き落としスタイルで、ADHDな私でも継続できる仕組みは万全。

自分が素敵だと感じることをする。
そういう人で、わたしは在りたい。

「不登校だった16歳の私」を助けたい気持ちを昇華させてもらってありがとう、カタリバさん。

参考 トップページ認定NPO法人カタリバ

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